「あのユニフォームを着てサッカーがしたい」

これは子どもの時の1番の感情ではないでしょうか。adidasのユニフォームを無地で仕入れ、背番号、チームロゴ等をシートプリンターで自ら作成し、エンブレムと合わせて自ら巨大アイロンでプレスプリントしています。

カラーやフォントに細部までこだわり、手作りの柔軟性を武器にどこまで派手にカッコよくできるか挑戦しています。各試合会場で「かっこいい」と言っていただけることが増えました。

2024年夏、初めてスタジアムで試合をすることができました。その時の感覚、選手たちの姿が忘れられません。

長野パルセイロのホーム、長野Uスタジアム、大会決勝ということもあり、決して満員ではないものの、多くの人に観られ、傾斜で囲む観客席は特別な緊張感を与えてくれました。観られる、魅せるという空間は、その後、スタジアムで勝ちたい、良いプレーをしたいという動機を選手たちに強烈に与え、「それにふさわしく」日々取り組もうと姿勢が高まりました。これからの大舞台にも強い意志で臨んでくれると信じています。


「なんで時計付けてるんですか?」

試合会場で選手を見た人が声をかけてくださったので説明しましたが、言いそうになりました。

「時計付けないでどうやって準備するんですか?」

私の中学には時計がなく、チャイムも鳴りませんでした。良い設定でした。

各応用としては自転車移動、チームへの連絡は必ず選手からの電話、集合から解散まで選手は親と接さない等、たくさんあります。プロ、ましてや外国籍選手でもないのに親をマネージャーや通訳のように使う選手いませんか?それを回避するためにもチームは親御さんとは体験時と卒団時以外は挨拶、重大な怪我病気以外お話しません。プレーの相談なんて選手自身がするものですからね。

特に自転車等、字のごとく自力をつけ、気づく力を高め、それらがさまざまな局面に反映されるほど成長に効果的なことはありません。そんなオートマティズムが漂う環境で鍛えましょう。


各カテゴリー少人数、14人乗りハイエース移動を活かして、各地の映え映えスポットで集合写真を撮って周る。これはただの遊び、自己満足でしょうか。違います、神宮外苑イチョウ、東京タワー、雷門、スカイツリー、綺麗で迫力ある景色をチーム全員で観たその刺激により、自分たちも「魅せる側」になりうると考えたからです。

大自然に囲まれ、野生的になることができるならば、美しい景色に触れてセンスを磨くこともできるはずです。

私ごとですが、幼稚園の先生、U12監督、高校外部コーチという3役をこなしています。3.4.5.6年生で構成されるジュニアチームを、1.2年生をとばした幼稚園、ジュニアユース中学生年代をとばした高校で挟むことは、両立を超えたバランスを生みます。ジュニアの選手たちを幼稚園児のように楽しませ、高校生のように大人扱いしながら、こんな時期を過ごして育ち、いずれこんな時期を迎えるんだなと考えながら、ジュニア年代のベストを追求しています。園児との安心感、高校生への説得力を高め続けていきたいと思います。

ジュニア選手たちは幼稚園での梨がり、高校サッカーの現地応援交流など、世代を越えた刺激を楽しんでくれています。

世界規模で見ると比較的小柄な日本人が、そのステージで躍動するためには、大きく蹴って長く走るという短絡的なものの対局を見極めなければなりません。大きく蹴っても全て跳ね返され回収される、高いクロスを上げても全て跳ね返されチャンスが見えない、そんな経験ありませんか?

平均身長が、どの大会に出ても5〜10cm小さい代がありました。でも彼らは強く、大きい相手を切り裂き制圧するヒントを与えてくれました。そして、そんなスタイルに必ず「自身の武器を載っけること」を忘れずに。偏ってはいけないし、ドリブルやポゼッションに特化する必要もありません。スタイルと武器のバランスを取る力は、将来どんなチームや監督と出会っても必要です。パスサッカーのチームにメッシというドリブラーがいたことがその好例です。

小学校では3年生頃に1人自転車走行を許可する免許を発行するそうです。つまりそれまでは判断予測、危険察知含めた力が足りないのだと思います。そんな中でやるサッカーはサイズ、力任せの「運動」に過ぎません。1.2年生頃は水泳やダンスなどで幅広い身体操作力を付け、その後判断力が伴うスポーツへ繋げるのが良いと感じます。極端な話、自転車免許と同じく、JFAが3年生頃からサッカーを許可した方が日本強くなるかも。

そして身体操作の基礎があり、判断が伴った、サイズや力任せでないサッカー経験がU12.11.10で始まると思っているので、中学年代以降に繋がっていく良いスタートを切る、そんな時間を作ることが使命だと考えています。


「総当たらない大会」のトーナメント、ましてやPKのある試合を、ドラマのように扱うことを当たり前としません。子どもたちは〇〇リーガーを目指しているのに、まるでトーナメンター養成所のような時間を過ごすことに疑問を感じました。

トーナメントの瞬間的なものは、練習準備内容やチームスタイル、戦い方、勝って舞い上がり負けて沈み込むという決着時のマインドに従ったものを生み、リーグの習慣的なものは、より気持ちが燃え続けて、より成長し続けられるメンタリティを生むと感じています。


なりふり構わず、選手を集めて、勝てば官軍マインド。そんなものを目にすることが増えてきました。

スクール展開しているチーム。スクールだけやる団体、チーム無所属の子や初心者のみのものならいいですが、明らかに他チーム選手をチームにひきこむことが見え見えで、声かけをして、お決まりの文言が「選手の意志です」。チームへの窓口になってる時点で、潔くない。

さらにワンデースクールや夏冬春の強化キャンプ、チーム選手の「募集」を嫌ほど目にしますが、目的は他チーム選手獲得?「募集」をしたら負けです。

また、SNSで宛先を間違えた投稿をよく見ます。「がんばれよ」「ありがとうございました」「ここを良くしていこう!」とか。それ直接言えばよいし、私は何を読まされてるんだ?となります。

全てに共通する印象として「美しくない」ということです。美しくない設定、センスから出てきた選手は美しくはならないでしょう。

「何人合格」それサッカーじゃなくて塾の宣伝では?

「ベスト16」16個もベストあったら覚えられません!

そう言った数字に誤魔化されてはならないし、こちらが数字や結果の実績という名の盾にすがってはならないということです。

大会結果は表示すれば華やかですし、選手を称え喜んでもらう意味では多少は良いかもしれませんが、過剰な表示はそれが目的に変わり、勝てば素晴らしい、負ければ全否定のようなジュニア年代に相応しくない方向へ針が振れます。

私は高校を選んだ時、それらで選んだならば当時最強の東福岡に行っていたでしょう。しかし、私が選んだのは当時は低迷していたものの、荒々しくも逞しく鍛え続ける精神性、哲学が魅力の高校でした。山口県でのんびりしていた私に足りないものを得たいという「指標」があったからです。